リーダーが主人公の組織

ということで、下書き放出です。

最近なにかと、チームってなんじゃらほいとかいった事を考えている。
・・・かつて自分と一緒に働いたことのある人からしてみたら、「お前が何を」「どの口で」と思われそうだけど。膝に矢を受けてしまうことは誰にでもある。

主人公とは、例えば漫画や小説でいうところの「内面や心理の描写が行われる」みたいな存在か。*1
そして「物語を進める」という役割でもあると思う。もちろん、外的な要因や周囲の人物に巻き込まれ、触発され、転がり落ちるように進んでいく事も多いが。が、「傍観者」や「モブ」とは異なり、仮に主体性がそこに内在しなくても、世界は彼(女)を中心に進むーといったような。

では、現実的なビジネス等の場面で、チームにおける「主人公である」とはどんな状態なのか?
まず最初に「その人物が何を思い、どういう動機で動いているのか」というのは意識される必要があるなと感じる。
漫画なら回想シーンが入ったりする。人は原体験に突き動かされる生き物だ。なので、過去にどんな事があって今に至っているのか・・・というのが見えてくると、途端に「憎めなく」なったりもする。そして、それと合わせて現在進行系の理想や「もっとこうなりたいんだ・・!」という覚醒の語りが描かれるのである。
こうして、サブキャラや脇役が、これまでのただの演出上の装置から 物語を突き動かす側 へと変わる。 彼/彼女が何かを言った時に、以後は「意味のある発言」になるだろう。共感すら得られるかもしれない。
無味乾燥な、形式的な「いま何を考えているか」から何歩も踏み込んだ「なぜそういう考えに至るのか」という次元で協調をしてけるとチームというのは有機的につながり活発な主体となると思っている。そのために、主人公的な独白は意味のあるものなのではないか、と。

さて掲題。
自分としては「リーダーが主人公になる」といいうのはアンチパターンなのでは、という考えも持っている。必要なことだし、そのポジションに至るに足る理由があってそうなっていると思うので、おかしな話ではあるのだが・・・
そもそも「権威」がある時点で、その人の一挙手一投足、発言の一言一言に「存在感」が出てしまうと思う。それに対峙しなければいけないのはチームメンバーである。
また、実際に「的を得ている」「正しい」ような発言が多いのだろう。

だからこそ、リーダーこそ「主人公」であってはいけないのではないか?と思うのだ。
例えば、外から見て「あのチームって最近なにしてるの?リーダーの○○さんが頑張っているのは知っているけど」「へぇ、あっちのチームはそんな新機能だしたんだ!流石だねぇ、○○(リーダー)さん!」となっている状態・・これは不健全なのでは、と。

何でそんな風に考えるんだろう、って思うと「1番自分が頑張るタイプのリーダー」の姿を見たからかなぁ。。
確かに広く深い知識を持っている。現状の課題を認識している。その人が、「徹夜して抜本的な改善を成し遂げました」というのを何度も見ていたら・・?
スタンドプレー、とまで言うと言葉が強いが、やっぱり「他の人は何をしているのかな」というのが見えづらい気がする。
まぁ、コレは「傍から見ていて」の話なのだけど。実際に輪の中にいたら状況は違って、「頼れる兄貴」な側面のほうが強いのかも知れない。

しかし、「全部をその人が決めている」ような雰囲気を(勝手ながら)感じてしまい、「他のメンバーは『チーム』という一人格に対して与すことが出来ているのだろうか」などと思った。
課題を見つける、方針を決める、成果も上げる。 コレが一箇所に集中した場合、経験も機会も自主性もその人に集まってしまうと思う。
そうすると、自ずと得られる体験にはどんどん乖離が生じる。
そして、自分も過去に「やっちまった」側での心当たりがあるのだが、そういう場合は往々にして

「だって、他の人が誰もやらないじゃん。こんなに課題はあるし、やって良い自由もあるのに」

と思っている事が多いのではないか。
そうした”中心人物”を周りから見ると、「自由がるのは分かる、課題も感じる、でも自分は○○さんほど上手く出来ない」とかって精神的に怯んでしまうような状況になってしまいそうで。。

ここに矛盾があるのだ。
そのリーダーも、メンバーの成長を望んでいると思う。その方が自分のためにもなる。単に実務量や負荷分散という物理的な面もあるが、それ以上に「対等にやり合える仲間」が居るのは楽しい。自分のためにもなる。
しかし、その「成長」の可能性を、ともすれば自分で奪ってしまっている・・・・

「できる」から「機会」があり、そこでようやく「自分が主人公」になれる。理想的な流れ。
しかし実際は、「先に主人公になってもらう」ことが必要なのではないか。
チームをリードしている自分が、チーム全体の成長性に対するブロッカーになってしまっている・・・という可能性はないか。

そんな訳で、誰もを「主人公」にするチームが、信頼とそれを糧にした再成長を望めるのではないか?なんて事をモヤモヤと考えたのでdump。

自分としては、

  • やっぱり「皆が主人公」になって、物語を紡いで、そこから共感を得たりキャラクターを理解できた方が楽しく働けそう
  • 自身に対しては、「強権」をいつのまにか持っちゃっていないか・・?は意識していきたい

という感じ。

*1:必ずしも作品の主人公とイコールの関係ではないけど、いわゆる「○○回」というものにおいて、その瞬間の主人公はサブキャラクターにまで移る。山王戦いいよね・・