自分は常に無知であるというスタンス

散々言い尽くされて陳腐化している事かもしれないが、「自分は無知である」と自覚していることは謙虚な振る舞いに繋がるかも知れない。

まず普段の生活において、自分より上手い人・詳しい人に対しては「丁寧に接する」というのは違和感ないと思う*1
例えば部活など、先輩に対して横柄な態度を取らないようにするのは「目上だから」というのを差し置いても、自然と心から「教わりたい」と感じる部分もあるのではないか。

もし自身がプロフェッショナルとして扱っている分野でも、往々にして「無知である」ことは重要だと考える。無知の知というのに繋がるかも知れない。

例えば、利用している言語やフレームワークについて、知れば知るほど「主語がデカい」ような批判はしなくなる。
1つのWeb FWだけを使っただけで「MVCはファットモデルになりがち、だからイケてない」というのは、もしソレが客観性を持って真実にかすってはいれど、「芯を食っている」という事にはならないかも知れない。
「○○がダメだ」と言った場合は「自分が○○について理解していて、使いこなしている」という事に胸を張れるか?そう思うと、必ず不安はつきまとうのではないか。その結果、「こういう使い方をしたいので、こういう書き方をしているが、そうするとああいうアンチパターンを誘発する」など、情報の解像度を高めるようになりそう。
多くの場合、欲しているのは個々人の要求(これは自身の中にしか無い)とその実現方法である。「Aという機能を使うこと」自体ではないだろう。なので、もし「無知である」ことを自覚していれば、「描いているユースケースに対して、そもそもAを使うのが適切なのか?」というところを疑ってみるところから始まる。結果的に、「Aを悪者にする」ようなコミュニケーションを行うことがなくなる。

謙虚さとは「自らより他者から学ぶことを是としている」という姿勢だと思う。
そのためには「他者と極力正確なコミュニケーションを取るようにする」という必要性が生まれる。客観的な、独りよがりではない発話だ。相手の存在を意識した客観 = フェアであるということ。

どれだけ「フェアになれるか」は重要な能力だと思うので、私はどんな時でも「無知である」ということを始発点としていたい。

*1:接する相手に態度を変えるな!!という話は別としてね