丁寧に言語化をする

人が成長する瞬間、あるいは「今得られる成長を最大化するやり方」みたいなのはいくつかあると思うのだけど。

例えば、環境が変わった瞬間。これは大いに伸びる。
中高の部活など顕著な例だろう。「今までに全く見知りしなかった仲間に囲まれ練習をする」とは、下手したらその1ヶ月だけで、それまでの数倍くらいの威力があるのでは。
転職もそう。新しい会社に入って、流石に思春期に得る部活動でのそれとは伸び代が違えど、「異なる面子」「異なるルール」に囲まれながら過ごす新鮮で刺激的な期間は、自身の本質を相対化し研ぎ澄ませる。

これらは、自分においても大いに実感がある。学生インターンでプログラマを始めた瞬間、その会社で(結果的にそのまま新社会人になっても同じポジションで続投した)先輩ポジションの人も社内にいなくなり1人webアプリ開発チームみたいな状況、そして転職して「先輩がいるチームで既存のプロダクトをやる」状況。
全て自分にとってターニングポイントだったとはっきり言える。

もう1つ、これは「0→1を得る」ではないが「1を10にする」ベクトルで、何であれ「丁寧に言語化をする」というのはあるのではないか。
エンジニア職であれば、コードレビューなど絶好の機会であろう。あるいは、社内外の勉強会でLTをする。これらは、「新しい知識を手に入れる」ものではないものの、自身のスキルやセンスをメタから顕在へと引きずり落とす・・・みたいな意味で、学術の深化・定着の文脈で非常に大きな成長ポテンシャルを引き出す!と思う。
残念かな、「外部の刺激を拡大する」のではなく「自身の領域の密度を上げる」ためのムーブとなるので、頭打ちもあれば自動的に成り立つものでもないが。

そんなことを、今日、自分が投げたprに対して質問を得ながら考えた。
それは「使い方は分かったけど、これまでのやり方と比べた際の利点をどう考えているか?」というものだった。ここで、「今までと何も全く変わらないが、最近ハマっているので!!」などと答えれば、それはチームに対する不遜であろう。対して、しっかりと「何となく」を形式知化する努力を達成すれば、それは自身の内においても「説明可能な知識」となるわけで。そして、「説明可能」同士は、少なくともそうでないものより、遥かに効率的であり意義深きまのになるわけで。