素人になりたい

「自分はプログラマとしてやれてきただろうか」というと、それはそうだろうなと思う。実際、そうやって税金を払い続けてこられているのだし。
ただ、それでも満足はしておらず貪欲さは持ち合わせており、「もっと周りに影響を与えるようなプログラマになりたい」「深い思考と美しい説得力を持ちたい」などと思っていたりする。自分の中での「ちゃんとやれている」を持ちたい。

どういう状態になれれば、この先も生存していけそうか?というのを考えて現時点で浮かんでいる大まかな方針は2点。
なお、これらは「今後も未来永劫変わることのない黄金律だ」というものではない。今までの長期スパンでの経験や直近数ヶ月足らずに見聞きした自身の経験・・・そういったものを足場として導出した「仮説」に過ぎない。常に検証と批判に晒し続け、適宜アップデートしていくこと。

  1. インプットとアウトプットの量を増やす主体は自分である。他人に甘えたり依存していると限界がある
  2. 自分のやる気が落ち込むのは周りとの折り合いが悪い時。他人を障害点とするのを避けるために、自己とチームのために動く

ここ数年を振り返ると、敢えて強烈な言葉で叩きつけるならば、「凄く傲慢で天狗になっていたな」と思う。
それは環境がそうさせた部分もある。 自分より上手くPHPを書く人間がいなかった という思いが、自分の中の権威を増長させてフラストレーションを爆発させた。
もちろん、世界にはまだ、遥かに先を行く人や強靭な知識体力を持つ人がいる。世界、といっても何も遠い大陸のことを想起しているのではない。同じ言葉を喋り同じタイムゾーンで暮らし、同じ電車を乗る人の中にですらそれは居る。

なのに自分は何をこんな所で停留しているんだろう、そんなおかしな話があるのか?という想いから、居る環境を変えた。
実際、新しい職場では何度も衝撃を受けた。思ったとおりだ、凄い人がいる。そういう人たちと同じチームに受け入れられたのは、自分にとって誇りだと思っている。
感嘆したのは彼らの「案の定」の知的で深い思考だ。なんでも知ってる、随分とかっこいいものを作る。それができる強力な力を持つ。
が、それにも増し、何よりショックだったのは、その人達は「とんでもなく勉強している」ということだった。暇があれば本を読んでいるのか?いや、暇でなくても本を読んでいそうだ。しかもそれを咀嚼し、体系化しているのか?
恐らく、常に課題や疑問を持ち続け、そこに対しての解を自力で探求し続けているように見えた。単純に言うと「気になった本があったら読んでみよう」だ。学ぶことに対して手をこまねいたりしない。

なるほどな、自分は「何かを考えている」ようで、全然その足元にも及んでいないな、と思った。ここまでやれてきたつもりだったのに、ショックだった。
技術や研鑽の話で、「一生懸命やる」という事は、した試しもあるし出来る自信もある。「プログラマとして雇われ、たくさん働いたことがある」というのが自分にとってのそれ。把握できている(手元に記録が残っている)だけでも月に380時間ちょいほど働いたこともあるし、恐らく400時間を超えている時もあると思う。
それは鎖自慢・・と確かに大差ないが、ただ「我武者羅にやったことがある」というのは自分の力を養成するのに間違いなく与した。それによって身についた実践知は今を作っている。良い未来を持ってきてくれた。

そうやって、会社や職場が「自分を伸ばしてくれた」と思っている。
別に何かを講義してくれたり指導してくれたという話ではなく、壊れたピッチングマシーンのごとくただただボールを放ってくれた。永遠に打席に立つことを繰り返してきた。
そういう経験があるから、自分が凄い人になるには、「凄い珠が飛びかっていそうな環境」に行くのが正解だろうと考えた。それが、自分の選ぶべき道だと。

しかし蓋を開けてみれば、「どんな球が飛んできているかは関係なく、凄い人は凄い」のだ。
別に過去に書いた話が間違っていて、嘘だったとは思っていない。「プログラミングやエンジニアリングについての向上心があり、それをプロダクトに反映できる事」も「 一緒に働くメンバーや社内にいる人から技術的な刺激を得られる事」も重要だ。
ただ、自分より凄い人が居る環境に行けば「その空気を吸うだけで僕は高く跳べると思っていた」ような面はあったかも知れない。
確かに、そういう人らがグランド・デザインから関わっていて思想が毛細血管のごとく隅々まで張り巡らせている・・・という場に立てれば、普通に仕事をしているだけでも得るものは多いかも知れない。だが、「凄い人がいる」 = 「その人達の思想や思考が浸透している」ではないのだな、と知った。
問題は、「そうではなかった」のに、ちゃんと武器を持ち強みを磨いている人がいるということだ。その力こそ、自分の成長を保証するものではないか・・?

改めて、「みんな素人」という言葉の意味を知った気がする。
この数年、「CakePHPを上手く使える」という自負が、いつのまにか自身の殻となり首を絞めていたなぁと思った。「俺はもう素人ではない」という傲慢さだ。
選んだ会社のスタックがCakePHPだったからこそ、「自分は全然通じる」と「それだけでは物足りない」と「会社から与えられたものに規定されていては駄目だ」というのを味わえた。
職場環境や自チームの力が、自身の成長の天井になっていると考えて転職した先で、自分の天井を破れていないのいは自分のせいだと思い知らされる・・という結末になったのは何とも皮肉ではあるけれど。

どうやって自分を伸ばすか・・・やっぱり「素人になり切れるか」ということだ、と感じている。
自分は実践から学ぶ。高校も大学も座学のほとんどには退屈していたが、受験勉強とかレポート作成とかの「独学」のターンになった瞬間に、これは自分のフィールドだと感じた。そもそも、プログラミングを始めて企業から雇われるに至るまで、それには「野良プログラマ」としてやってきたのが自分の成長の源泉だった。
自分は実践から学ぶ、そうである以上は手を動かし続けることを自身に課さなければならない。座学や与えられただけの教義には感動できないのだから。ただ「未熟なことをやるのが怖い、恥ずかしい」?なら「プロ」なんてやめてしまえ、素人に戻れる方が遥かに逞しい。

前職で終盤には上司になった人の話が、今読み返してみると凄く良いと感じた。
30代から始めるwebフロントエンド入門 - Speaker Deck
あるいは、初めて読んだ時から強烈に感銘を受けた記事。
移住することにしました | NEW GAME @kunit

かつて野良プログラマだった何でも出来る(出来ない)自分との差分として、今だからこそ一言だけ加えれば、「須らく必要なことだけ学ぶ」というのを改めたほう良い。その態度は、「今やれているから、そんなに必死に学ばなくていい」を連れてきたと思っている。歩幅の大きな一歩を進めようとする時に、頭を使う必要はあるが賢くあろうとする必要はない。
自分が目の当たりにした「凄い人」の「凄さ」は、学びの姿勢にあった。圧倒的にインプットしているし、そうやって考えるべき視点・考え方を取り入れ更新し続けているからこそ、彼らには今の凄みがある。
もちろん、他のタイプでドンドン道を歩み行く人もいるとは思うが・・・ただ、1つ言えるのは、「凄い人にあって自分にないもの」が見えたなら、自分の天井を打ち破れる可能性がある。今はその事に気づいてワクワクしている。自分は実践から学ぶ。なので、こんな面白そうな事実に気づいたからには、試してみたい。

「素人」になることの最大のメリットは、学ぶことに対してオープンになれることだと思っている。
今更これをやってみて、またLv.100まで持っていくにはどんな果てしない時間がかかるんだろう・・とか。既にこんな武器を持っているのに、こっちをやってみても、自分が提供できる価値ってのはそこじゃないよな・・とか。
「使い物になりそうなことをやる」「もっといえば、プロなのだから、自分の持ちうる価値を最大化する方が良いし求められている」なんて考え方が、新しい世界を阻害する。学ぶとは本来、かっこ悪さや恥を恐れない姿勢なのだ。
「凄い人になるには凄いインプットを食い尽くすことだ」と気付いたのだ、そのためには素人になる必要がある。謙虚に向き合う必要がある。

なんか、色んな意味でやり直しだな〜・・・と感じている。
「チームを良くする」みたいなのをやり切れず、逃げてきたはずだったんだけど、今ならそれもやってみたい気はするなぁ。